juntaのブログ

過去のこと、今のこと、未来のことについて考えたことを書いてみよう

エディ・ヴァン・ヘイレン

10月7日の朝7時ころ、目を覚ましたぼくはネットニュースをチェックするため。PCを開いてヤフーのページを見た。そのとき目に飛び込んできたのは、エディ・ヴァン・ヘイレンの訃報だった。

 

去年(2019年)、ヴァン・ヘイレンが北米ツアーを企画しているという噂が流れて、結局実現しなかったとき、やっぱりエディの体調はよくないのかな、とは思っていた。実はこういう事態が起こるんじゃないか、ということもちょっと想定していた。そういう意味では、心の準備も少しできていたのかもしれない。

(本当にこういった状況になってしまった今、受けているショックは想像を絶しているけど…)

 

ぼくにとってのヴァン・ヘイレン、エディ・ヴァン・ヘイレンという存在は、HR/HMというかっこいい音楽にいざなってくれた恩人かな、と思っている。

(残念ながら、楽器を弾くというところまでは至らなかったけど)

 

1990年ごろ日本では、時任三郎牛若丸三郎太というキャラになって巷を席巻していた。当時高校生だったぼくには、そんな音楽シーンがとてもくだらなく見えて仕方なかった。

(決して時任三郎が悪いわけではない)

 

そんなときに知人に借りた「5150」アルバムにドはまりしたのだった。

当時はまだゴリゴリにロックしていなかったので、“DREAMS”とか“WHY CAN’T THIS BE LOVE?”、”LOVE WALKS IN”といったキーボードソングがお気に入りだったけど、何度もアルバムを聴き返しつつ、デビッド・リー・ロス時代のアルバムも聴きこんだりロックの好みを広げていった。

最初は「5150」と「1984」のボーカルが違うことに気づかなかったことも今となっては笑い話だ。

あっ、BURRN!とかヤングギターとか買いだしたのもこのころだ。

エディさんが表紙のときには必ず買っていたなあ。

 

1991年の「FOR UNLAWFUL CARNAL KNOWLEDGE」からバンドをリアルタイムにフォローし始めた。”RIGHT NOW”は、そのころ浪人していたぼくにはテーマソングのようになっていた(笑)。

1995年「BALANCE」のあと就職活動を開始し、その秋のツアーでバンドが来日した際もわざわざ上京して代々木オリンピック体育館までライブを観に行った。

就職後の1996年「BEST OF VOLUME 1」リリース後、サミー・ヘイガーがバンドを脱退。

1998年に「VAN HALEN 3」がリリースされ、ゲイリー・シェローンを従えて再度来日したときにも当然日本武道館にライブを観に行った。

その後、エディさんが2000年にガンを患ったころからは、バンドの活動も停滞し始める。

2012年に「A DIFFERENT KIND OF TRUTH」がリリースされ、翌2013年に再度来日。

もちろんこの時も東京ドームに観に行って、ヴァン・ヘイレンの歴代の3人のボーカルでのライブ完全制覇を達成…。

(来日前のアメリカツアーのチケットもとったけど中止になった記憶が…)

その後、転勤していて以来、ぼくの会社員としての暗黒時代がまた始まった…笑

 

何はともあれ、ヴァン・ヘイレンがぼくの人生に大きく影響しているのは間違いない。

今後、エディさんが作った新しい音楽を聴くことができなくてとても残念だけど、いままでたくさんの素晴らしい音楽を届けてくれたことに感謝したい。

エディさん、本当にありがとう。安らかにお眠りください。