juntaのブログ

過去のこと、今のこと、未来のことについて考えたことを書いてみよう

ボクが在宅勤務が好きじゃないワケ

「なぜ会社に行くのか?」と聞かれたら、みんななんと答えるだろう?

ボクの答えは「会社が家に来ないから」だった。

だけど、近年のテクノロジーの進展により、会社はPCに形を変え、家に来ることになってしまった!

テクノロジーの進化おそるべし。

サラリーマンなんて自由がない職業についていると、いずれ本当に夜中も休日も仕事に追いかけられる世の中になってしまうのではないかととても危惧している。

自分にとって幸せな仕事をしている人はいいかもしれないけど...。

昨年からのコロナ禍で、ボクの会社もPCを家に持って帰って在宅勤務推奨になった。

だけどね、ボクは在宅勤務が好きじゃないです。

たしかに不毛な通勤時間を別の有意義なこと(ギリギリまで寝たり?)に充てたり、家族との時間が長くなったりとか、いいことも多いと思う。

だがしかし、ボクはそういったメリットをさておいても、家で仕事をすることは好きではない。その最大の理由は、家では仕事に集中できないから。ボクは場所に無意識のうちに意味づけをしているようで、自宅はまったりする場所、会社は仕事をする場所になっている。家では仕事のことを考えて不快な気分になりたくないのた。だから家では仕事はおろか勉強するのも集中できない。(ボクの中では、勉強場所はカフェ)

そんなわけで、早くコロナが収束して、メンタル的にメリハリのある生活に戻りたいと切に願っている。

 

エディ・ヴァン・ヘイレン

10月7日の朝7時ころ、目を覚ましたぼくはネットニュースをチェックするため。PCを開いてヤフーのページを見た。そのとき目に飛び込んできたのは、エディ・ヴァン・ヘイレンの訃報だった。

 

去年(2019年)、ヴァン・ヘイレンが北米ツアーを企画しているという噂が流れて、結局実現しなかったとき、やっぱりエディの体調はよくないのかな、とは思っていた。実はこういう事態が起こるんじゃないか、ということもちょっと想定していた。そういう意味では、心の準備も少しできていたのかもしれない。

(本当にこういった状況になってしまった今、受けているショックは想像を絶しているけど…)

 

ぼくにとってのヴァン・ヘイレン、エディ・ヴァン・ヘイレンという存在は、HR/HMというかっこいい音楽にいざなってくれた恩人かな、と思っている。

(残念ながら、楽器を弾くというところまでは至らなかったけど)

 

1990年ごろ日本では、時任三郎牛若丸三郎太というキャラになって巷を席巻していた。当時高校生だったぼくには、そんな音楽シーンがとてもくだらなく見えて仕方なかった。

(決して時任三郎が悪いわけではない)

 

そんなときに知人に借りた「5150」アルバムにドはまりしたのだった。

当時はまだゴリゴリにロックしていなかったので、“DREAMS”とか“WHY CAN’T THIS BE LOVE?”、”LOVE WALKS IN”といったキーボードソングがお気に入りだったけど、何度もアルバムを聴き返しつつ、デビッド・リー・ロス時代のアルバムも聴きこんだりロックの好みを広げていった。

最初は「5150」と「1984」のボーカルが違うことに気づかなかったことも今となっては笑い話だ。

あっ、BURRN!とかヤングギターとか買いだしたのもこのころだ。

エディさんが表紙のときには必ず買っていたなあ。

 

1991年の「FOR UNLAWFUL CARNAL KNOWLEDGE」からバンドをリアルタイムにフォローし始めた。”RIGHT NOW”は、そのころ浪人していたぼくにはテーマソングのようになっていた(笑)。

1995年「BALANCE」のあと就職活動を開始し、その秋のツアーでバンドが来日した際もわざわざ上京して代々木オリンピック体育館までライブを観に行った。

就職後の1996年「BEST OF VOLUME 1」リリース後、サミー・ヘイガーがバンドを脱退。

1998年に「VAN HALEN 3」がリリースされ、ゲイリー・シェローンを従えて再度来日したときにも当然日本武道館にライブを観に行った。

その後、エディさんが2000年にガンを患ったころからは、バンドの活動も停滞し始める。

2012年に「A DIFFERENT KIND OF TRUTH」がリリースされ、翌2013年に再度来日。

もちろんこの時も東京ドームに観に行って、ヴァン・ヘイレンの歴代の3人のボーカルでのライブ完全制覇を達成…。

(来日前のアメリカツアーのチケットもとったけど中止になった記憶が…)

その後、転勤していて以来、ぼくの会社員としての暗黒時代がまた始まった…笑

 

何はともあれ、ヴァン・ヘイレンがぼくの人生に大きく影響しているのは間違いない。

今後、エディさんが作った新しい音楽を聴くことができなくてとても残念だけど、いままでたくさんの素晴らしい音楽を届けてくれたことに感謝したい。

エディさん、本当にありがとう。安らかにお眠りください。

勝手にワーケーション@宮古島

ワーケーションなる、旅行先で仕事をしよう(させよう)という施策が政府主導で行われようとしているらしい。
しかし、ぼくは一足早く個人的にワーケーションする羽目になったので、ちょっと感想でも記しておこうと思う。

そもそもワーケーションすることになったきっかけは、夏休みのスケージュールが会社の仕事のスケジュールの関係で狂ってしまったことにある。
平日の3泊4日で旅行に行こうと思い、インスピレーションを感じた宮古島を旅行の1週間前に予約。
ただ、宮古島で男一人何をするかアクティビティもゴルフくらいしか思いつかず、ゴルフ以外の時間は考え事でもしようかと思っていた。
そこに、会社の仕事のスケジュールが前倒しになる、という情報が舞い込む...。

今までなら、こういう状況では、旅行を泣く泣くキャンセルするしか選択肢がなかったのだろうが、このコロナ禍の状況で、リモートでも(世の中の役に立たない)仕事ができちゃうということで、移動日だけ休みにしてもらい、4日間の真ん中の2日間はホテルで仕事をすることにした。
(もちろん会社には宮古島にいるなんて言わないけど)

初日。
羽田までバスで向かい、飛行機で宮古島へ。
飛行機の搭乗率は50%くらいか。
ちなみに、飛行機は3分で機内の空気が循環して入れ替わるそうで安心なことを強調していた。
宮古空港でレンタカー屋にピックアップされ、レンタカーを借りる。
いったんチェックインのためにホテルに行こうとチェックイン。
その後せめてもと、すぐにドライブに出かけ、池間島へ。
池間島を車で一周し、東平安名崎へ。
途中スコールのような雨が降り、ちょっと休憩。
宮古島の景色は、サトウキビが多いせいで、基本、緑色。
前にドライブしたオーストラリアのブリスベン付近とその部分は似ていた。暖かい場所はサトウキビ。
ホテルの近所の居酒屋で夕食。

2日目。
朝からホテルで仕事。
ルームキーパーさんにタオルだけ交換してもらう。
17時半ごろに仕事は終了し、来間島から伊良部島下地島までドライブ。
佐和田の浜で、サンセットを拝む。
その後、夕食を取ろうと伊良部島の某レストランに向かうも、またしても途中で大雨。
結局、そのレストランも休みでファミレスで夕食

3日目。
この日も朝からホテルで仕事をし、ルームキーパーさんにタオルだけ交換してもらい、
18時ごろに仕事が終わると、ちょうどそのころスコールが激しくなり、少し待ってからマックスバリューとドンキホーテに移動。
通常の旅行ならお土産でも買うところだが、だれにも宮古島に行ったとは言っていないため、泡盛オリオンビールを自分のために購入。
夕食は、本土では見かけない、A&Wというハンバーガーチェーンのハンバーガー。

4日目。
この日は移動日で休み。
朝からゴルフ場で、一人でプレイ。
レンタルクラブだったが、スコア的にはいつも通り。
でも一人だとボールがなくなるなあ。
8時スタートで、11時には終了し、ゴルフ場で宮古牛のハンバーグランチ。
その後、マンゴーパフェを食してからガソリンを入れてレンタカーを返却し、羽田まで空路で戻る。

こういう感じでワーケーション(宮古ならリモートワークならぬリゾートワーク?)したが、正直、当然気持ちの良いものではなかった。
仕事を避けるために遠くまで行っているのに、仕事のことを考えさせられたり、気持ち悪い同僚と話をしたりと結局休んだ気持ちにはならなかった。
ワーケーションは日本国内で金を使わせて経済を活性化しようという政府の魂胆からきていると思うが、仕事するならリゾート地ではなく家のほうがいいし、休むなら会社とも基本的には連絡を取らない環境がいいと思う。
個人的にはそういうメリハリが重要かなと思っているので、ワーケーションなんてものが、この世に普及しなければいいのにと思っている。

 

毎年思うけど

また新しい年が明けた。

世間一般にはおめでたいことなのだろう。

とりあえず、おめでとう。

 

自分的には、たまたま年という概念があって、このタイミングでそれが区切られているだけじゃね、と思っているので、これといって何の感情もない。

新年だからということで、またいろいろとマーケティングが施されてうざいな、というだけの話。

 

2020年も個人的には資産をとっとと大形成して、世の中の役に立たない仕事から離れるために行動するのは変わらないだろうと思う。

2019年は、大雑把にいうと、総資産:5000万、負債:3500万、純資産:1500万という状態になった。2018年末の状態は、総資産:3000万、負債:1500万、純資産:1500万という状態だったので、単純に比較するとワンルームマンション1戸購入の分だけ総資産と負債が増えている勘定だ。

2020年はシコシコとローン返済しつつ、株で資産を増やしていければと考えている。

2020年は早期引退への道筋ができる年になるといいな、というのを今年の抱負にしておこう。

 

 

 

作業だらけ

今の職場に来て2ヶ月くらい。まあダメ会社の例にもれず、目の前に作業が降ってきて、それをこなす、という毎日。やること自体は他の人でも全然できるが、業界とか社内とかその部署特有の事情をいかに知っているかが他者と差異化するポイント。かといって自分もそんなの多く知ってるわけじゃない。社内用語多すぎ。そんな日が今日も続く。

反面教師

先日、親が、「大阪に行きたいがLCCのチケットは空港で買うと手数料が高いと空港で聞いた。残席が少ないから、すぐにネットで買ってくれないか」とラインが入っていた。残席が少ないのになんで空港まで行ったのにそのまま買わなかったのか、急ぐのになんでラインなのか疑問は色々あったが、幸い?残席2席のところを予約できた。年金生活者はLCCの手数料よりも、座席が取れない可能性よりも、空港まで行く時間や通話料のほうが安いのだろう。その後、「ホテルの予約は電話したほうがいいかな」という拾って代わりにネットで予約しろよというくだらないラインが来た。お願いなら考えるが、拾えということなので、「好きにすればいいんじゃない」と返した。その後連絡はない。自分はこういうジジイにならないようにと思う今日この頃だ。

とうとう

今日、会社の上司から呼び出しをくらい、何かと思ったら異動の内示、

かつて子会社での仕事が面白かった経験から、子会社に行きたいと言っていたので、それが叶ったのかと思いきや、本社の別の部署、

思うに、異動のきっかけは、去年の従業員満足度調査で思っていることを割と正直に書いてしまったこと。おそらく子会社を優先で異動先を探していたのだろうと思われるが、また従業員満足度調査の時期が近付いてきたので、異動させられるところにポッと飛ばして口封じしようということだと思われる。

この、世の中の役に立たない仕事をさせる会社の仕事の価値は、上司のご機嫌を取ることにある。そんなことしたくないから、収益利益をあげないとつぶされる子会社に行ってちゃんと数字で勝負する仕事をしたかったのに、結局またご機嫌取りをしろということ。

くだらないな。マジやめるかな~。